保護者の主体的な療育をサポートする支援者のインタビュー企画「サポーターズVoice

第一回目は、「NPO法人つみきの会」代表の藤坂龍司氏にお話を伺いました。

藤坂

藤坂氏は、ご自身のお子さんが自閉症の診断を受けたことをきっかけに、独学でABAに基づく早期集中療育を家庭で実施し、その体験を多くの保護者に伝えていこうと「つみきの会」を設立されました。つみきの会は、ABAセラピーを自ら家庭で実施する親の会として活動し、全国の会員数は現在1400~1500人にのぼります。会員である保護者の多くが自ら家庭療育を行い、会もそのためのテキスト販売や定例会、セラピスト派遣などのサポートを行っています。

今回のインタビューでは、藤坂氏自身が我が子の診断を受けたときのショック、日本にまだABAが全く浸透していなかった時代に自ら書籍を探し当てて療育を始め、自閉症という難しい障害を抱えるお子さんにたくさんのことを一つ一つ教えていった経緯、その後のつみきの会の設立や今後の展望について詳しく伺いました。

 

障害も病気も区別がつかない

どうやったら治せるだろうと考えたとき、一冊の本が光明を与えてくれた―――

(藤坂さんの、自閉症とABAとの出会いについて教えてください。)

自閉症との出会いは、娘が2歳の時に自閉症と診断されたことです。

自閉症と診断され、同時に市の保健センターの親子教室に通いだしました。診断から1か月ほど経ったときにキャサリン・モーリスさんという、自閉症の子どもをもつお母さんの「わが子よ 声を聞かせて」という本に出会いました。この本はABAによって症状を劇的に改善させた母の手記だったのです。その中で、ロバース博士のことが紹介されていたのですが、研究によると19人中9人の幼児たちが知的に正常域になり、通常学級に進学したとなっていました。「自分はくじ運が良いほうではないけれど、この確率だったら自分にもチャンスがあるかもしれない。やってみよう」と思ったのがABAとの出会いですね。

(診断を受けた時のことを教えてください。)

診断を受ける前、娘が2歳になってもまだ言葉が出ないので、心配になって家庭医学の本を読み、娘に障害があることを覚悟したのですが、その時はショックでしたね。台所にすわり込んで、妻と泣いたことを覚えています。それからしばらくの間はご飯を食べても味もしない、砂のように感じるんですよ。

それから2か月ほどして医師の診断を受けたのですが、その時に思わず口をついて出た質問は、「この子は結婚できるのでしょうか、就職できるのでしょうか」というものでした。これが親としてのごく自然に出てくる子どもに対する期待なのだと、自分で口にして初めて気づきました。先生は「就職している人もいるし結婚もできている人もいる」とおっしゃって、今から考えれば気休めなんですが、少し希望がわきました。それから、てっきり「知的障害」と言われると思ったのに「自閉傾向」と言われたので、なんだかわからないけれど思ったより軽そうだな、と感じたことを覚えていますね。本当はそうではないんですけどね。

保健センターや病院では、どうしたらよいのか、ということを何も教えてくれませんでした。今はわかるのですが、医学の世界では、障害というのは病気と違って治るものではない、一生付き合っていくもの、というのが常識的な考え方ですから、こうしたら治るよ、とか、さあ治療を始めようという風にはならないんですね。しかし、親からすると病気も障害も区別がつかないのです。診断をされれば、どうやったら治せるだろと考えてしまう。そんなときにキャサリン・モーリスの本が一つの光明を与えてくれました。やはり改善したいという思いがあったので、妻に相談して、資料を探すなど動き出しました。

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「療育者のパパ」になり、闘いのゴングが鳴った―――

前に進める嬉しさと、娘からの信頼感でABAに夢中になった

(ABAに基づくセラピーを始めた時のことを教えてください。)

さあ始めようと思ったところまではよかったのですが、問題はテキストでした。キャサリン・モーリスの本の中で紹介されていた、ロバース博士の「ミーブック」という本がどこの大学にもなかったのです。翻訳どころか、原著すら見つけられませんでした。幸いにも、ロバース博士が「ミーブック」の前に書いた「自閉児の言語」という本の翻訳があることが分かり、当時勤めていた大学の図書館でそのテキストを手に入れることができました。

ちょうどその時に、勤務先の短大が夏休みになり、僕は研究もしてなくて暇だったので(笑)、1か月半の間、集中的に家庭でセラピーをやりました。妻もやったのですが、うまく行かなくて、夏休みの間は僕が一人でセラピーをしました。夏休みが終わってからは、僕の成功に目をつけた(笑)妻もセラピーをするようになりました。でも妻のセラピーは私から見るとスパルタであまり誉めず、叱ったりもしていたので、理想的なABAの療育ではありませんでしたね。

それでも、2歳から幼稚園に入るまでの3年間、2人で週35時間ほど行いました。キャサリン・モーリスの本ではセラピーを行うために家庭に来てくれるセラピストのことが書かれていたので、わが家にも来てほしくて、近所の3つの大学に問い合わせたのですが見つからず、やむを得ず全て僕と妻で実施しました。

僕はのちに大学院で臨床心理学を学ぶので、これは後で知ったのですが、実は関西でもABAを教えてもらえる大学はあったんです。でも、後から考えると、初めにそれを知らなくて良かったと思います。何も知らない時に大学の専門の先生に娘のセラピーをしてもらえると思ったら、何も調べないで安心して頼ってしまったと思うんですよ。でも実際に日本の研究機関での支援の様子を見ると、同じABAの理論に根差しているとはいえ、僕がアメリカの書籍などをもとに独学でやってきた集中的な早期療育とは大きく違う。初めから専門家に頼っていたら、僕の思う療育は娘に行えなかったと思います。

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(療育をやっていてお子さんの障害に対する気持ちは変わりましたか。)

「ここまでわかっていないのか」ということが、実際に自分で教えて初めて分かりました。恐ろしい障害だと痛感しましたね。見かけは普通でしたから、セラピーを始める以前は、こんなに何も分かっていないとは思っていなかったんですね。例えば、「こうして」と両手を上と横に挙げる単純な動作をして見せたら、娘は真似しようとしても何だか斜めに腕を挙げて変な形になるんですよ。これは、見えている世界さえも違うんだな、と感じました。それから「ママ」と「パパ」の区別がなかなかつかなかった。これはきっと人の捉え方が違うんだろう、私のことも妻のことも同じように便利な、世話をしてくれる存在・ものとしか思ってないだろうと。だから区別がつきにくかったんだと思いました。

 (「普通のパパ」ではなく「療育者のパパ」としてお子さんと関わるようになって気持ちの変化や抵抗はありましたか。)

ためらいはありませんでしたね。

ABAを始める前の僕は本当に優しいパパでした。娘は本を並べることが好きだったのですが、僕の本棚から本を持ち出していてもにこにこと眺めていたし、外出先で抱っこをせがまれれば腕が痛くて持てなくなるまで抱っこしていました。それが、セラピーを始めると真逆になるわけですよね。セラピーの初日、娘がいすから立とうとした時、私が立たせまいとひざを押さえると、娘はびっくりして大声で泣き始めました。この時に戦いのコングが鳴ったと思いました。

そこからはABAの面白さの虜になっていきました。出来るようになった時の嬉しさや、前に進める嬉しさ、課題をいかに上手にスモールステップ化して展開していくかを考えることに夢中になりました。子どもも、それで僕を嫌うようなことはなかったですね。むしろ「この人ならちゃんと教えてくれる、理解させてくれてほめてくれる」というような信頼感というのかな、そういう感覚がありました。僕自身も最初は「これでいいのか」という迷いもありましたが、徐々に言葉が出るようになり、娘のできることが一つ一つ増えていき、「これでいいんだ」と確信をもてるようになりました。

 

ABAは効果がある!

自分たちの経験を過去のものにせず、みんなに伝えていきたい―――

(つみきの会の設立へと踏み出したきっかけはなんでしょうか。)

娘が幼稚園に入学したことで療育の時間が劇的に減りました。もともと人にものを伝えるという仕事だったということもあるのですが、ABAのことをみんなに伝えていきたいと思ったのです。ABAはこんなに効果があるのに、せっかくの自分たちの経験を過去のものにしてしまうのはもったいない、と。そんな時に知り合いからABAの話をして欲しいと講演依頼が来たのですね。これが自信になって、土日などを使って活動をしようという決意に繋がりました。

その後に、一念発起して会場を借りて自ら講師になって講演会を開きました。地域の保健センター付近でチラシを配って宣伝したのですが、口コミで広がったのか、明石だけでなくて神戸からも参加者が集まったりして、当日は30人くらいの親御さんと学校の先生が来てくださいました。その日はロバースのABAとはなにかというお話をして終わったのですが、もしやりたい人がいれば、やり方を提供しますからまた集まってください、というお約束をしていて、3ヶ月後に開いたその会合が、つみきの会発足の会合となりました。

(つみきの会に専念しようと思ったきっかけについて教えてください。)

設立後も5年間は短大講師として働いていて、つみきの会の仕事は土日や休日だけを使って気楽にやっていましたね。初めのころは神戸で月に1回定例会をやっていて、ローカルな小さな組織としてやっていこうと考えていました。しか発足して間もなく、PCの得意な会員の親御さんがつみきの会のHPを作ってくださったことがきっかけで、全国から入会希望者が増えてきて。地域ごとに、熱心な親御さんにリーダーをお願いして、大阪・東京・名古屋などで定例会を開催するようになりました。

つみきの会に専念しようと思った一番の理由としては、自分の所属していた短大の学生数の減少により、学科がなくなると言われたからですね。そこまで講師の仕事に執着があったわけでもなく、またABAのことは好きだし、得意でもあったのでそちらに専念しようと思いました。

(つみきの会に専念しようと思ったときに、不安に感じていたことなどありますか。)

特にありませんでしたね。ただ、これを専門にするには資格がなければと思いまして、大学院に入学して臨床心理士の資格を取りました。

(つみきの会の組織の概要について教えてください。)

コンセプトはロバース法に基づくABA早期家庭療育を自らやる親の会です。日本においては親御さん自らがセラピーをしなければならない、することができると考えているので、その親御さんたちのための会を作ったんです。各地で定例会を行っているのですが、そこでは自分のセラピーをお互いに見せ合う般化訓練や講義などを行います。特に、般化訓練への参加は必須にしていて、あくまで親御さんがご家庭でセラピーをすることを前提にしています。対象年齢は早期ということにこだわっています。就学期のABAをやってほしいというニーズもありますが、僕自身、療育は早期が一番効果が高いと思っているので、早期に照準を合わせています。

定例会のほかには、教材作りや講義、セラピスト派遣、個別相談をやっています。NOTIA(http://www.notia.co.jp/index.html)は子会社のような位置づけで、つみきの会の会員対象のセラピスト派遣部門です。親御さん自らがセラピーをすることが大切だと考えているので、ご家庭でセラピーをしていないところには派遣していません。

 

ABAは普及しつつあり、組織は歴史的役割を終えたかもしれない

「迷ってる場合じゃない!」と保護者には伝えたい―――

(つみきの会の今後の展望をお願いします。)

一寸先は闇、どうなるか分からないと思っています。変動はありますが、ありがたいことに現在の会員数は今までで最大の1200~1400人ほどです。ABAもかなり広まってきているし、公的な動きとしては、自治体の療育センターでもABAを取り入れ始めているところもあります。そういったことを踏まえて考えると、つみきの会は歴史的な役割を終えてきているのかもしれません。歴史的役割を終えて会員は縮小していくのか、あるいはABAの普及によって組織もさらに拡大していくのか、分かりません。

こんなに大規模な親の組織があるのは日本だけだと思います。アメリカなどは、共働きが基本ですから、自らセラピーをする親御さんは少ないのです。日本でも共働きは増えているけれど、まだ専業主婦層も多い。もちろんつみきの会にも共働きのご家庭もありますが、ご家庭でセラピーをしている方の中心は専業主婦のお母さんです。また、僕は親御さんによるセラピーを重視していますが、最近ではセラピストを派遣する組織も増えてきたし、通所型の支援もありますから、今後のつみきの会がどうなっていくのか、全くわかりませんね。

(最後に、療育の入り口に立っているHütte訪問者にメッセージをお願いします。)

 「迷っている場合じゃない、やるしかないんだ!」と伝えたいですね。思い切ってこの世界に入ってきてほしいです。熱心にやって子どもが伸びている親御さんは、迷わずつみきの会に入ったり、入る前でもHPを見ただけでセラピーを始めたりしています。ABAは絶対に裏切りませんから、迷わずにやって欲しいです。

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◎インタビュー・編集:

古家実可子(インターン)・植村さつき(インターン)・竹内弓乃(ADDS共同代表)

<編集後記>

私たちがADDSを立ち上げたとき、先輩たちにヒアリングをさせていただくために、神戸まで出かけたことがあります。そのときお会いした先輩の一人が藤坂氏でした。

“社会起業”に燃えて、「一人一人にただ療育をするだけの活動ではなくて、どうやって広げていくか?ということのほうに興味があります」と意気込む私たちに、「そんなカッコいい淋しいことを言わないで、本当にいい療育を、目の前の親子に届けていってほしい」とおっしゃった藤坂氏の言葉を今でも忘れません。また、「僕はね、ABAは自閉症の親子を救えると信じているんです」ともおっしゃいました。

その信念を曲げず、一人一人の自閉症児とその親御さんに誠実に向き合いながら活動してきた「つみきの会」は着実に全国に広がり、結果として、日本のどこにいても保護者が望めばすぐにでも家庭療育を始められる仕組みを提供しています。

藤坂氏は、初志貫徹、あまり柔軟に他の療育方法を取り入れることを好まない、厳しい方という印象があります。しかし、柔軟に色々な考え方を取れて組織が大きくなった結果、本当に大切な本質が広がっていかないということはよくあること。融通が利かないくらいに、ブレない強さを持って進んでこられたからこそ、沢山の親子に運命を変えるような体験を届け続け、我が国の難しい土壌でABAを広げることができたのだと思います。

最後に、「つみきの会は歴史的な役割を終えてきているのかもしれない」という言葉はあまりに偉大です。私たちにも団体の理念やミッションがあります。藤坂氏と同じ年齢になった時、自分が同じことを言えるだろうかと思わず頭を抱えました。

日本の自閉症療育の歴史を変えた“サムライ”のような方だと改めて尊敬するともに、次の時代を担う自分たちの責務に、背筋が伸びる思いでした。

(特定非営利活動法人ADDS 共同代表 竹内弓乃)