自閉症などの発達障がいがあるお子さんをもち、幼少期から家庭での療育に取り組んできた先輩ママ・先輩パパの療育体験記。Vol.3では、三上さん(仮名)にお話を伺います。

FullSizeRender (3)三上さんに出会ったのは、お子さんが4歳、年少も終わりの冬ごろでした。

お母様は少し疲れた様子で、生まれて間もない下のお子さんをおんぶ紐で背負って幼稚園に通い、教室から出て廊下やベランダで一人で過ごすSちゃんの付き添いと送り迎えをされていました。「母親として、子どもに必要とされている、好かれている感覚もなく、私も娘のことを好きになれなかった」と当時を振り返る三上さん。

そんな三上さんのスゴイところは、主体的なマネジメントのスキルでした。ご自身がセラピストとしてお子さんに直接指導するのではなく、支援機関と幼稚園をつなぎ、支援者と支援者をつなぎ、お子さんに必要な支援が行き届くような環境をつくりあげていきます。
現在では、受験を経て元気に中学校へ通うSちゃん。これまでの体験談、紆余曲折の道のりを、三上さんにじっくり伺いました。

<前編>ではお子さんの発達の遅れに不安を感じていた幼稚園入園前のお話から、幼児期にどのように療育を進めてきたかをご紹介します。

 

 診断がついたことでモヤモヤした気持ちが晴れた

 

発達が気になり始めた頃のお子さんの様子は?

小さい頃から言葉は比較的よく出ていて、1歳半健診の項目にあるような発語の数をクリアできないということはありませんでした。運動能力にも問題はなく、1人で遊んでいる分には特段不安は感じていませんでした。

ただ、今思えば、「はっぱ」とか色々言葉を発してはいたものの、人に対する働きかけというのかな、「ママ!」「みて!」「きて!」だとか、そういう種類の言葉はなかったですね。自己完結していたというか。それから、赤ちゃんの時にあまりにも私のことを必要としていなかった点は、違和感があったかなと思います。普通はお母さんが見えなくなると泣いたり探したりする赤ちゃんが多いと思うのですが、うちは一向に平気でしたので。

2歳半を過ぎた頃から、近所のお子さんと見比べると、対人面でのコミュニケーションの不足や、3歳近くになっても簡単な塗り絵ができないなどの操作力の遅れ、知的な遅れもあるんじゃないかと感じ始めました。3歳児健診では発達の遅れを指摘されることもなく通ってしまったので、不安に思っている点をこちらからお話したところ、保健師さんから発達相談を受けたらどうかと助言をもらいました。その時点では、年齢的に専門家も診断しにくい段階だったので、しばらくは個別相談を受けるだけという状態が続きました。

当時、娘は自己発信のみの発言が多く、会話のキャッチボールができず、周囲の状況も把握できていないようでした。
また、誰かと関わって遊ぼうという気持ちも持っていないようでした。そのまま幼稚園に入園するのですが、園生活に馴染めず、園からは「親子関係がよくない。
この状態で友達を作るといった相談には乗れない」と言われる始末でした。

そんな中で、年少の6月に非定型の自閉症で、知的な遅れがあるという診断を受けました。
診断がついたことで、私としてはモヤモヤしたものが晴れた気がしました。それまで娘の発達に関する不安を口にしても、周囲から励ましのつもりで「そんなことないわよ」と言われるのが苦しかったので。とはいえ、診断がついた後も何に手をつけたらいいのか分からない日々が続きました。
療育センターに行くことを勧められたのは、幼稚園入園後、しばらく経ってからでした。

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療育センターはどのような場でしたか?

幼稚園からの勧めもあって、年中から2年間、週2回療育センターに通い、週3回幼稚園に通う生活スタイルが定着しました。
子どもには「もう1つ別の幼稚園に行けるようになったよ。ラッキーだね!」というような感じで話しました。
療育センターは、週2回のうち1回は親同伴でした。小さな集団での療育の様子を週に1回は直接見られる機会ができたことも良かったですし、そこに来ている親御さんは同じような心配を抱えたお母様方だったので、はじめて仲間ができて、私にとっては少し息抜きできる場となりました。
娘にとっても、幼稚園はハードルが高いことが多かったのに対し、療育センターは少人数で落ち着いて安心できる場だったので、良い方向へ向かっていったと思います。

 

―――Sちゃんのように、相当の年齢で一応のことばが出ているような場合は特に、自治体の乳幼児健診で見逃され、診断や支援が遅れるケースも多いようです。
当時に比べ、早期発見の重要性が広まってきたことで、現在では自治体にもよりますが乳幼児健診でのチェック項目も整備されつつあります。
また、診断を受けてもその次の支援の受け皿が不足していることや、保護者の動揺を配慮し、診断が足踏みされるケースもあるようです。
わが子に障がいがあるということの宣告は、確かに保護者にとってはある種の喪失体験、非常にショックな出来事ですが、周囲からの「大丈夫」という励ましは逆に苦しく、三上さんのように、診断を受けてモヤモヤが晴れた、母親の自分が感じていた違和感は間違っていなかったと認められホッとしたという声も時々聞こえてきます。

 

 家庭療育がスタート!母親はセラピーのマネジメントに徹した


ABAを知ったきっかけや、始めた動機はどういったものですか?

通っていた幼稚園は、もともと発達に心配のあるお子さんを一定数受け入れている幼稚園だったので、そのお母さんたちで集まる会がありました。そこで、自宅にセラピストさんを呼んで家庭療育(以下セラピー)を進める方法があるということを聞きました。

当時、私は娘をどう扱っていいか分からなくて、全然彼女を好きになれなかったんですね。向こうからも好きだと言われないし、遊ぼうとも言われない、必要ともされてない。
私から見ると娘はダメなことばかりして、褒めるポイントもなくて、遊んであげようという気にならなかったんです。
それを見兼ねたお友達のママから、他の人に委ねる時間を持ちながらセラピーを進めることで、少しでもお母さんの気が楽になればという感じでご紹介を受けたのがきっかけでした。

ちょうど下の子が生まれて大変な時期と重なってしまったので、授乳などの赤ちゃんのお世話をしている間に、誰かが来て遊んでくれるならその方がいいやという軽い気持ちでお願いすることにしました。
普通、ABAの家庭療育を始めようとする保護者はもっとしっかりした意気込みをお持ちですよね。うちの場合は、恥ずかしながら始まりはそんな感じで。
でも、紹介を受けたママから、いかに回数を確保してコンスタントに療育を行うことが大切かというお話は真剣にされていて、そこは親の仕事と思ってマネジメントをしっかり行いました。
普段は週に2回くらい、夏休みなどの長期休暇中は週3回程度お願いしました。

どのようにセラピーを進めていきましたか?

自らお子さんと向き合う時間を持って、ご自身でセラピーをされるお母さんもいると思うのですが、うちはセラピー自体は全て学生セラピストさんにお任せする形をとりました。週に3回お願いしたかったので、はじめにご紹介を受けたセラピストさんに加えて、新規で学生さんに自分でアルバイトの募集をかけて、最終的には3人の学生さんに数年間お願いすることになりました。

私自身は、3人のスケジュールの調整をしたり、初心者のセラピストが経験者からテクニックを教えてもらう機会作りをしました。
また、その時々で、何ができるようになって欲しいかを幼稚園生活と関連付けて伝えるようにしていました。あとは、課題や問題点を共有した上で、3人のセラピストさんが同じような意識を持って娘と接することができるように、セラピーのビデオを撮って見せたり、毎回レポートを書いてもらったりしました。
たまに3人に集まってもらって、今後の方針を決めることもありました。私が向き合って何時間も何かを教え込むということをしない分、うまく状況を開示したり、その機会を設けるということを主にやっていました。

幼児期にそれだけまとまってセラピーの時間がとれたのは、大きな意味があったと思っています。
小学校に入ると、長時間授業を受けて子どもが疲れてしまうというのもありますし、宿題や習い事に取られる時間もあります。セラピストさんに来てもらうことで私が楽な気持ちになれたというのもありますが、時間がある時期にゆったり向き合ってセラピーを進められたのはとても有意義でした。

セラピーを通じて、お子さんにはどのような変化がありましたか?

セラピーを始める前は、言葉も遊びも自己完結していて、順番決めや勝ち負けという概念も全くありませんでした。
でも、逃げ場のない部屋でおもちゃとセラピストさんと向き合う時間を作ったことで、順番を待ったり、おもちゃの貸し借りをしたり、言葉のやりとりをしたりというのが、だんだんできるようになりました。自分だけの世界でパターンに執着してしか遊ばないところから、相手を意識してコミュニケーションを取りながら遊べるようになったというのが大きな変化かなと思います。

私自身も、おもちゃを買う時などに、どういうおもちゃを与えたら人と関われるのかなどを念頭において選ぶようになりました。順番を待ったり、数をかぞえたりという体験ができるすごろくゲームなど、なんらかのやりとりが発生するおもちゃがおすすめです。色や形を覚えられるおもちゃもいいですね。
あと、身体を使って楽しめるものも効果的でした。例えば、大きいバランスボールの上で飛び跳ねるなんていうことは1人じゃできないですよね。セラピストさんに手を繋いでもらって、ボールに乗ってピョンピョンしたら楽しいという経験から、「手つなごう」と相手を必要とするようになったりだとか。

あと、幼稚園での流行もセラピーに取り入れてもらって、女の子なので例えばシール交換のやりとりの練習なんかはよくしましたね。その中でセラピストさんに褒められて自信を持つことで、幼稚園で一緒にいる時間の長かったお友達とのやりとりもできるようになりました。

 

―――「学生セラピスト」というと、「え?資格が無くてもできるんですか?」「心理学部の学生ですか?」といった質問を受けることがよくあります。
現在の日本では、ABAの療育支援を提供するために絶対に必要な資格はありません。
また、心理学部の学生だからといって、ABAの理論に基づいた実践的なトレーニングを受けているケースはほとんどありません。
それよりも、とにかく発想が柔軟で、積極的に子どもを楽しませ巻き込むことができる学生が向いているとアドバイスをした記憶があります。学生は、専門家ではありませんが、若くてパワーがあり、子どもに近い目線で真摯に向き合うことができる人材でもあります。
仕事として療育を行わない分、いつでも自分の担当する少数の子どもに思いを馳せ、良い悪いは別として、ある意味家族のように寄り添うことができます。
三上さんは、資格もない学生の力を信じ、子どもの大切な時間を任せてくださる一方で、勤務のスケジュール管理や、数か月に一度の全員でのミーティング、ビデオ撮影と編集、レポートの書式管理など、お子さんへの支援が滞りなく進むような環境整備をしっかりとされました。
結果として、それぞれがそれぞれの立場で最大限に力を発揮しお子さんを支えられる療育の形ができていったように思います。

 

 幼稚園と療育センターの連携


幼稚園とのやりとりで気を付けていたことは?

はじめはバス通園をしていたのですが、途中からバスに乗るのをやめて毎日送り迎えをするようにしました。
娘からは幼稚園でのことを何も聞かされないので、バス通園の時には気にしていなかったのですが、送り迎えをするようになって初めて、顔を出して分かることがあるということに気付きました。
女の子って、「そのリボン可愛いね」だけで会話が生まれているんですね。他の子の間で何が流行っているのかなども、園児たちの様子を見たり他のお母さんとのやりとりの中で知ることができて、セラピーにつなげることができました。幼稚園が終わったあとに他の親子と一緒に公園に行く機会などを持つことにもつながりました。

先生に対しては、毎日お迎えの時にその日の娘の様子を尋ねて、関心を持っていることをアピールしました。
先生も一生懸命やってくださっているので、意識的に先生を褒めるようにしました。「先生が頑張ってくれたおかげで、こんなことが出来るようになりました」と伝えるようにして、コミュニケーションを密にとることを意識するようにしました。

また入園時以降、娘の特徴を書面にまとめて持参して先生方に相談する機会は持ち続けるようにしました。
1学期に2回くらいのペースで、主任の先生と担任の先生と私と三者で面談して、療育センターで言われたことや、自宅での様子をお伝えして、療育センターと幼稚園での生活に一貫性を持たせるように気をつけました。
また、幼稚園の担任が療育センターで授業見学ができる機会があったので、そういう時は来てもらうように積極的にお願いしました。幼稚園と療育センター双方の担任が顔合わせをして、互いに連携を取ってもらうことができたので、それは恵まれていたと思います。

 

―――幼稚園・保育園との連携について先輩ママにポイントを尋ねると、
*先生と積極的にコミュニケーションをとること
*先生をほめて感謝を伝えること
*面談時には簡潔にまとめた書面を提出し、現状と希望を伝えること
の3点が必ずといっていいほど挙がります。保護者も支援者の一人として、園や療育センターの先生と対等に風通しの良い関係を築き、素直に感謝を伝え、素直に希望を伝え、ともに問題を解決していけることが、お子さんの成長にとっても重要だと改めて感じます。

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年中から家庭療育をはじめ、お友達とのかかわりや集団参加も少しずつできるようになっていったSちゃん。次は、小学校入学の時期が見え始めます。
<中編>では、小学校の選択に際しての情報収集や、特別支援学級と通常学級を行き来する生活について詳しく伺います。